1958-08-11 第29回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号
引揚港におきましては数が多うございますので、詳細な調査はできないわけでございますが、できるだけ全員から何らかの資料が得られないかというふうなことで、係官を派遣いたしまして、現地でいろいろ事情を聴取するのを第一段階といたしておるわけでございます。
引揚港におきましては数が多うございますので、詳細な調査はできないわけでございますが、できるだけ全員から何らかの資料が得られないかというふうなことで、係官を派遣いたしまして、現地でいろいろ事情を聴取するのを第一段階といたしておるわけでございます。
つまりナホトカという例のソ連抑留者の引揚港ですが、一九五〇年に再開しまして、その第一回の引き揚げがあったときから、五六年十二月、一昨年の十二月二十七日に日本に帰還しました第十一回の引き揚げがありましたが、この二つのナホトカの状況を調べてみただけでも疑問が起きなければならない。第一回のときは、ナホトカ港が凍っていたので、引揚船の興安丸は非常な迂回をしてようやく出てきたと報告されている。
次いで、引揚者の代表の話を総合してみますと、まず帰国旅費については、これは引揚港までの旅費は、中には乗車賃を、取らないところもあったようでありますが、大部分は自費でまかなってきております。
引き揚げの期日については四月の中旬ごろが適当じゃないかという希望を申し入れるとともに、引揚港をできるだけ早く指定してほしいという申し入れを行なったのであります。その後の情報によりますと、モスクワ大使館の方には、樺太在住者から三名新たに帰国を希望したいという陳情があったそうであります。
その後随時必要に応じましてそれぞれの指示をいたしておりますが、先ず労働省自身といたしまして、とりました措置でございますが、舞鶴の引揚港の現地に臨時の職業相談所を開きまして、毎回引揚げて参りました第一次、第二次、第三次船まででございますが、その人々の中の就職を希望するかたがたに対しまして、職業相談を実施しておるのでございます。
方によりましては、これを乗せないで十分にできるであろうというふうに結論が得られましたので、当方といたしましては、日本政府の職員が乗らないで、船だけを向うに出すということにいたしまして、先般、従来の引揚げに関する閣議決定の変更をいたし、乗船者名簿は船長が受取る、船内における業務につきましては、給食等の世話については船にこれを一任する、なお船内の業務は、上陸に際して必要なる最小限度にとどめる、しかして引揚港
従つて、舞鶴の引揚港に法務省の関係の方がお出ましになるのであれば、それについて特に御配慮願いたいということを希望として申し上げたいのでございます。
それから、引揚港におきまする問題につきましては、今後舞鶴におきましてのそういうものにつきまして、先方に出すようなことはいたさないつもりであります。
このためには、でき得べくんば、引揚港である舞鶴に、人事院なり、あるいは先ほど申しました鉄道、専売、電々等の公社の人事係の人が来られまして、履歴を調べられまして、そこで即決採用するというような方法をとつていただきたいと思うのでありますが、いかがですか。
これらは正確にわかりませんが、とにかく労働省といたしましては、厚生省、外務省と連絡をとりまして、取りあえず引揚港である舞鶴に係員を派遣いたしまして、国内の雇用状況、或いは国の職業安定施設等について、十分周知いたさせたいというふうに考えておるのであります。
今日舞鶴は引揚港として用いられておりましたが、引揚事業も只今休止している状態になりますと、非常に眠つた静かな余り活動のない町となつております。この舞鶴港の商業港転換の大問題といたしましては、日本海における少数の、而も非常に優秀な湾でございますので、この復活にはどうしても大陸との関係が再び開始される時を待たなければならないと思います。
但しそのために、私は引揚港に上がればみんな返してくれると思つておりましたのに、その貸した人が帰つても引揚港で渡してくれませんので、私が向うにおります間も、またこちらに帰りましてからも、そういう人たちからは違約である、違言であるといつて、ずいぶんひどく責められたという事案があるのでございますが、しかしその金が返せなかつたのは、一般の国家事情であつたということを、私も認めておるのでございます。
本年度中に外地から内地べ引揚げる者は、約十五万人と予想せられるのでありまして、これらの人々の援護の徹底をはかりますことは、きわめて重要でありますので、引揚港における收容保護、輸送、日用品及び被服の給與、医療その他各種の援護の万全を期しますのと、未復員者給與法及び特別未帰還者給與法に基きます各種の給與等に必要な経費をそれぞれ計上いたしました。
この仙崎という町は、小さい漁村で、半島の上に所在するものでございますが、ちようど終戰後、この港が引揚港に指定せられまして、引揚援護局がここに設けられまして、一年二、三箇月のうちに、六十万人もの引揚者の引揚げを、ここでやつたのであります。ところが、ここは非常に風景もいいし、人情も非常にいい所でありまして、引揚げて来ると行き先がないので、ここに滯留して住む人が非常に多いのであります。
なお舞鶴援護局は今後唯一の引揚港として存置されるわけでありますのて、今後帰つて来る引揚船による引揚者は、舞鶴で受入れるということになるのてあります。もつとも引揚船によらないて、貨物船その他において少数の方か帰つて来る場合がございます。これは貨物船か入港される検疫所で受入れる。
○吉武委員 ちよつと簡単に、一つお尋ねしたいのですが、参議院のこの問題に関する審議の速記録を読みますと、岡元さんの言葉の中に、これは昨年のことだと思いますが「四月十四日たまたま証人として喚問された津村謙二君の口から、いわゆる反動分子を引揚港より奥地に逆送し、その帰還を遅らせた事実があるとの証言を得て以来、その後引揚が引続き実施せられたのに伴う調査の進展から、同様の事実が次第に明らかとなつたのであります
在外同胞引揚問題に関する特別委員会におきまして、昨年四月吉村隊事件として伝聞されましたところの残留同胞間の不祥事件について調査を行いましたる際、四月十四日たまたま証人として喚問された津村謙二君の口から、いわゆる反動分子を引揚港より奥地に逆送し、その帰還を遅らせた事実があるとの証言を得て以来、その後引揚が引続き実施せられたのに伴う調査の進展から、同樣の事実が次第に明らかとなつたのであります。
えば抑留せられておる日本人俘虜の数というものについても、問題が関係して来ますが、御承知のように一九四六年十二月十九日のソ連地区引揚に関するいわゆる米ソ協定によれば、本協定の全項目は対日理事会ソ連邦代表と連合国最高司令部の代表との間に完全な妥結を見たものであり、且つ引揚の港及び引揚者の数、その他これに関することについては、第二節の第四項に本協定締結に当り、又代表は予見されない情勢の変化により、所定の引揚港及
調査経過の概要 在外同胞引揚問題に関する特別委員会において、昨昭和二十四年四月吉村隊事件として伝聞された残留同胞間の不祥事件を調査して引揚促進に資せんとした際、偶々四月十四日所謂人民裁判に関連し津村謙二証人によつて、従来から伝えられていた所謂反動分子の引揚港より奧地への逆送並びにその引揚遅延の事実が証言された。
外地から内地へ引揚げる者は、本年度約三十六万人と予想せられるのでありまして、これらの人々の援護の徹底をはかりますことは、きわめて重要でありまして、引揚港における收容保護、輸送、日用品及び被服の給與、医療その他各種の援護の万全を期しますのと、未復員者給與法及び特別未帰還者給與法に基きます各種の給與と、旧陸海軍の残務処理等のため必要な経費をそれぞれ計上いたしました。
○天田勝正君 一昨年の引揚者の引揚船に対するいろいろな注文、不平並びに引揚港におけるところの註文不平、これらを解決するという意味からいたしまして、昨年の引揚が開始されまする前に、本委員会から各引揚港に議員派遣をいたしまして調査せしめたわけであります。当時私共その任に当りました者は、それぞれ報告書を提出いたしまして、昨年度の引揚においてはさような不都合は海においても、港の方においても断じてない。
それは過日大蔵省の財務局からの通牒でありまして、華北等から引揚げて参る直前か、或いは引揚港におきまして、引揚地において内地に送金している。これは領事館か或いは総領事館等で扱つて送金しているものもあります。それらは勿論正規な受取を貰つて帰つて来ている。或いは五十万持つているならば三十万を送つて二十万は寄付している。こういう恰好の人もおります。